──そして僕たちは空を壊し、その欠片を手にしていた──


青い空のカミュに関するあなたの感想、考察などを自由に表現してください!


『青い空のカミュ』が発売されてから、ネットでは様々な感想や考察を拝見するようになりました。
その内容は多岐にわたり、制作サイドですら想像もしなかった
印象深い洞察や この作品に対する素直な心情の吐露の数々。
時には幾度にもわたって考察を重ねていただくこともありました。
今までにはないリアクションの数々に
この作品を受け入れてくださったユーザーの皆様には、本当に感謝してもしきれないほどです。

”美少女ゲームを芸術として表現する”
KAIはこのコンセプトで作品を作りました。
芸術として制作者が表現したかったものがあります。
そして、その解釈はユーザーの皆さんに委ねられております。
それゆえにプレイして頂いた皆様のご感想ご考察も
紛れもなくこの作品の世界を構成する一部であると捉えております。

内容はネタバレを含んでも問題ありません。
また、すでにツイッターやブログ等で公開されている内容のコピーもOKです。
寄せられたメッセージはサイト上で公開させていただきます。
『青い空のカミュ』の感想、考察などがユーザーの皆さん同士でも
共有させていただける場になればと考えております。

皆さんが、そして製作者にもまだ気づいていない、「青い空のカミュ」の新しい一面が見えるかもしれません。

青い空のカミュ感想キャンペーン
期間: 2019/6/21~7/21まで
応募方法: 下のフォームからご応募ください。
終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。

応募された方の中から抽選で〆鯖コハダ描きおろし色紙10名様にプレゼントいたします。


□当選者様は以下に記載いたしました□
描きおろし色紙 「Nous avons un ticket entre nos mains」


*原文抜粋
蛍ちゃんはやっと見つけた大切なものを失ってしまったがこの先どうするのだろうか。強い子だからなんやかんや普通に生活していきそうでもあるが…

蛍は確かに強さを持っています。ですがそれは”自分が無い”ことと切り離せないものとして描いています。 恐らく蛍は燐を通して自分を得たのかもしれません。そうなれば…と考えてみるとこれからの蛍がどう生きるか? 色々考えさせられそうですね。(〆鯖コハダ)

*原文抜粋
CG、音楽、シナリオ、雰囲気などすべてのクオリティが高くテーマがテーマだけに考えさせられることも多かった。 ところどころで小説のモチーフや引用がされているので元となった小説を読んでいけばまた違った見方ができて何度も楽しめる作品だったと思います。

*原文抜粋
“Rin is impure, and will corrupt Hotaru if they stay together” This seems to be the most popular theory, that the basis for the arc with Satoshi was that Rin’s feelings of love and lust are blemished, and that this contaminates her relationship with Hotaru and her presence in the perfect world she longs for. It explains the significance of Satoshi’s role in the narrative and gives justification to the ending from Rin’s perspective, but it can’t possibly be the answer.

非常に興味深いお話です。 ”燐が汚れていて同じように蛍を汚してしまう” と言うのは本編でも燐自身が語ることなのですが、 それは単純に割り振られた役割通りで解りやすいけれど、 出された答えではありえないとの考察。確かにこの作品は”その先”を目指していました。(〆鯖コハダ)

*原文抜粋
青い空のカミュ製作お疲れ様でした。 イラストレーターとしてコハダ先生を知っていましたので今作にてシナリオ執筆を行っていた事に興味を持ち凌辱ゲームメーカーと知りつつも手に取らせていただきました。 プレイしてみると序盤から話に引き込まれてゆきその不思議な世界観には驚きました 内容として凌辱を抜くと文学的作品として投じるような内容となっており 主題として理不尽を描き 幸せと幸運の違いについて問いかけるものは作品を通して考えさせられるものが有りました。

*原文抜粋
正直に述べさせてもらうならばかなり評価に苦しむ作品でした。というのもプレイ時間はフルプライスでありながら体験版範囲を除いてしまえば4時間程度しかなく、それを補う程度には透明感に溢れる秀麗な一枚絵の数々であったり腐っても“KAI”と言わんばかりの触手凌辱が本作品を美しく彩っており買っても後悔しない作品ではあったと思いました。むしろこの場面で用いた哲学的発言は本作品において何を狙ったものであろうかと終わった後に色々と想像を膨らませることが楽しめるような作品だったように感じます。でも深い考察は哲学者に任せましょう。本編中で述べられるカミュとサルトルの論争についてにでも熱く語っているのを僕は横から眺めておきます。

*原文抜粋
そこで自分が最後のエピローグまで見て出た結論としては、「この世界は座敷童自身である蛍を中心として繰り広げられた世界」だったんだろうなと。

実存主義の考えとしては全ての自己実存には動かすことのできない固有性があると言うの根底にあります。 人はどこまで行ってもどうしようもなく”自分自身”であると言うことですね。 その意味では蛍の内的世界自体が世界そのものであると言う解釈は非常に面白いですし、 これは想定していない考えでしたが、そう考えれば色々な点が説明できるところでもあります。(〆鯖コハダ)

*原文抜粋
先生のキャラはすごく可愛いです! シナリオはかなり深刻です!

*原文抜粋
CG、音楽、シナリオ、雰囲気などすべてのクオリティが高くテーマがテーマだけに考えさせられることも多かった。 ところどころで小説のモチーフや引用がされているので元となった小説を読んでいけばまた違った見方ができて何度も楽しめる作品だったと思います。 シナリオはHシーンよりも気になってそっちを優先するぐらいでしたが、それだけに欲を言えばもっとボリュームが欲しかった。ただボリュームがあればあるほど良いというものではないですが、世界観も素晴らしかっただけにもう少し浸る時間が欲しかったところ。

*原文抜粋
僕は、世界と己の距離感が今回のテーマかなと。そしてそれは人それぞれ違う長さだが、世界から見れば全て同じなんだと。上には上がいるし、下には下がいる。それに自分が選ばれたのはただの偶然であって、何の運命もないと。だから世界を残酷だと感じる。ここでの一番の残酷な点は世界がそれを何とも思っていないこと。

世界には上も下も右も左も無く全ては実存に対する相対的な位置であって、 意志的、道徳的な黄金律は無いと言う事を作中で”巨人”として燐に語らせています。 世界は盲目の巨人のようなものではないでしょうか。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
「青い空のカミュ」をプレイして突きつけられたものは「不条理」。 そんな不条理にさらされた私は、燐や蛍とともに暗い森の世界を乗りこえた先に、彼女らと同じように1つの答えを見つけました。 ――小さいオオトモ様が可愛いと。 そう、小さいオオトモ様は可愛いのです。 決して、ロリコンなワケではありません。オオトモ様の憫然たる人生に同情したワケでもありません。 作中で蛍は語ります。 「良いとか悪いとか。そういうことじゃなくて、本当はただ綺麗なものがあるだけなのかなあって……」 分かりますか? 見た目が幼いとか年齢がどうだとかそんなちゃちなものを語りたいワケではないのです。 「ただ綺麗なものがあるだけ」であって、ただ可愛いものを可愛いと言っているだけです。 最後にもう一度いいます。小さいオオトモ様は可愛い。

これって”美少女”の本質だと思いますw 『青い空のカミュ』を通して描きたかったものは美少女ですので その意味でもただ綺麗なものとしてキャラクターを受け取って頂けたのは嬉しい限りです。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
初めてエンディングを迎えた時は胸がいっぱいになり少し早い五月病の気分を一月ほど味わうことになったのを今でも覚えている。もう9回近く繰り返しプレイをしエンドまでやっているが未だに結論は出ていない。ネット上では様々な意見が出ているのだろうが、自分は好きなことに関してはネット断ちに近いことをしているので評価等は一切知らないが良いゲームに出会うことが出来たことが素直に嬉しい。

このゲームには関しては様々な思索をしていただけるのが何よりも嬉しく思っています。 プレイして頂いた方の感受性のままに世界に浸って頂けるような芸術を目指しました。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
終わった後にextraからミュージックで”完璧な世界”を改めて聴いていたら、OPにしてこの全てが終わった後の蛍のことを言ってるような感じがしました。サビ前までが紙ヒコーキを拾ったあとに燐との思い出を思い出しているような感じ。そしてサビの部分から燐はもういないけど進もうという蛍の思いのように思いました。”さあ 走り出す 線路上”ここは燐はもういないけどそれでも進もうとする感じ。”完璧な 日の 希望”ここは燐が居た証である紙ヒコーキなのかと思います。

”完璧”であることと”傷一つない”ことは同じ意味では無いと思っています。 だからこそ不確定で不条理な世界を描いたこの作品の主題歌を”完璧な世界”と名付けました。 あの歌は燐と蛍、どちらの気持ちを歌っているのか、そう考えてもう一度聞いていただければと。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
本当の幸せはなんなのか、分かるととても切なく儚すぎる、めちゃくちゃいいシナリオであっぱれすぎる。 ほんとうによかった.......。

燐と蛍はどちらの名前も儚い光をイメージして付けた名前です。 (燐光には様々な意味もあります) 本当の幸せとはそんな光のようなものなのだろうと思います。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
だが、一度握った手は"離れてしまったのか、離してしまったのか。"

自分にもどちらかだったかわかりません。 あのシーンに意志を表す言葉は用意しませんでした。その後の燐の表情も。 最後の最後に描いたイベントCGがあのシーンでした。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
燐が青い世界に取り残されたのは冷蔵庫などで食べ物を食べたから? 最後は蛍は座敷童の力を失った? 最後の紙飛行機は燐からのメッセージでしょうか?

はっきりとお答えできるのは、すでに蛍は座敷童では無いと言うことだけです。 その他については、そうであるとも言えますし、そうではないとも言えます。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
ままならなさ、確かなものなどないという感触。主が不在となった後に、でんでんむしの殻のなかに残されたものは悲しみかもしれません。「引っかき傷」に対して潔癖な燐が、電車の中と外とで蛍との手が離れてしまった時に見せた、安堵とも諦念とも取れる微笑みが痛ましい。

悲しみを感じるのは主の無くなった入れ物であると言うのは興味深い隠喩だと思います。 何故、何も”無い”のに悲しみは”ある”のでしょう。 電車のシーンでは文章だけでは書き現せない表情をあのイベントCGで描きました。 このシーンをかくためには自分自身でシナリオから原画グラフィックまでやる必要性があったと考えています。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
どうして綺麗なものをそのままにしておかないのか…考えれば考えるほど、難しい言葉ですね。やはり現実では欲望の方が強く、汚してしまうんだろうなと。 それでも、大切なものは守っていきたいものです。

自分たちは色々な大事なものを汚し続けるし失い続けるのだと思います。 たとえいつも手遅れでも、それでも、そのようなことに”反抗”し続けていきたい、 とそう思いながらこのゲームを作りました。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
読者に考察の余地を多く残した純文学的な雰囲気がとてもよかったです。シナリオのボリュームがあると尚よかったと感じました。

シナリオのボリュームに関しては一本道と言う事もあり、この事について厳しいご意見を頂いております。 より精進し、シナリオ、グラフィック共に更にクオリティとボリュームを追求していきたいと思っております。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
蛍に『ひっかき傷』を残してしまうことをわかっていながら。 蛍は燐が取り残されてしまった世界を『完璧な世界』と表現しましたがそれは誰にとっての、何のための『完璧な世界』なんでしょうね? 最後に…蛇足でしかないと、この『芸術』にそれは許されないとわかっていますがそれでも蛍と燐がいつかまた、笑いあえるそんな『世界』を夢見て。

おそらく誰のためのものでも何のためでも無いのだと思います。 静寂と言うものは誰のためのものでも無い停止した空間だからこそ、 時に人は静寂へアクセスしたくなるのでは無いでしょうか。 二人について物語の”後”について語る言葉は何一つ想像できませんでした。 自分自身も考えたくはあるのですが、どうしても最後の”青空”の後を思い浮かべることが出来ませんでした。 (〆鯖コハダ)

*原文抜粋
また、それを見た蛍の「完璧な世界」という表現も気になります。 青い空≒雲がなく太陽にさらされている光景を 「異邦人」の「太陽がまぶしかったから」に添えて不条理(=完璧)な世界にいるという事なのかな。

不条理を超えた世界。もしくは不条理と世界を止揚したのかもしれません。 (〆鯖コハダ)

──当選者様のメッセージ──

 DEM様

Kaiブランドの作品は『青い空のカミュ』が初めてになります。〆鯖コハダさんのイラストが好きだったため作品を知り、発売前のメッセージコラムを読んで購入を決めました。
本作はシナリオ、グラフィック、音楽、演出、キャラクターなど美少女ゲームで重要となるファクター全てが高水準で期待を裏切らないものでした。これだけでしたら年に1,2作レベルの良作ですが、私の中で本作は今までプレイしてきたゲームの中でもオンリーワンの作品となりました。その理由は、これらのゲームを構成する要素全てが作品コンセプトである「美少女ゲームのデコンストラクション」と「不条理の中の美しさ」を実現するためのベクトルを持っていたことです。
メッセージコラムでも触れられていましたが、従来の美少女ゲームよく見られるシナリオ、グラフィック、ジャンルなど構成要素自体を主目標として作品を作る(シナリオゲー、キャラゲー、ホラーゲーなど)のではなく、一つの美少女ゲームの理想像を作るために構成要素をパーツとして組み上げている(デコンストラクション)のがプレイする中でよく実感できました。
個人的に芸術には「理想の追求」と「鑑賞者へのメッセージ」の2つのタイプがあると思います。本作はゲーム単体としては前者を、そしてメッセージコラムや本キャンペーン(製作者+プレイヤー間での感想共有による作品のデコンストラクション)などは後者を満たし、まさに美少女ゲームを芸術として昇華できた一作だったと思います。
今後も従来の美少女ゲームの枠にとらわれない芸術性を追求した作品作りに挑戦してくださると1ユーザーとしてとても嬉しいです。



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『青い空のカミュ』の製作動機として既存の美少女ゲームの方程式からの
脱構築をはかりたかったと言う思いがありました。
美少女ゲームと言うジャンルは美少女を出さなければならないと言う”枠”と、
18歳以上を対象をしているアダルトゲームである点で表現上の制限が無いと言う”自由”な所があり、
そこに表現上の面白さがあると感じていました。
だからこそ、ある程度フレームの決まっている○○モノと言うものではなく
自分の中であやふやながら理想として描いていた”美少女ゲーム”を芸術形態として表現したかったのです。
そのためにホラーの要素やSF、文学などを”美少女”と言う概念に集約させて組み立てていった作品でした。
この製作側の意図を汲み取ってゲームをプレイして頂けたことに非常に嬉しく思います。
ユーザー様の多種多様な解釈は仰られるように感想を共有し、
また作品の一部を分解しまた再構築して頂けるものだったと考えております。

冒険的過ぎる内容ではありましたが、大変有難いことに高い評価を頂き十分な収益も出すことが出来ました。
次回作は現在、構想中ではありますが、今作から掲げましたコンセプトである ”l'art de la fille”を体現する
作品を作り続けたいと思っております。(〆鯖コハダ)


 Tote様

僕は、世界と己の距離感が今回のテーマかなと。
そしてそれは人それぞれ違う長さだが、世界から見れば全て同じなんだと。上には上がいるし、下には下がいる。それに自分が選ばれたのはただの偶然であって、何の運命もないと。だから世界を残酷だと感じる。ここでの一番の残酷な点は世界がそれを何とも思っていないこと。



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ただそこに在るがゆえに人はそれぞれ固有の祝福と罰を受ける。
そこには英雄的な必然性も運命的な偶然性も無い。
これは世界と対峙するうえで残酷なまでの現実であり
いわゆる実存主義の首魁でもあるサルトルのいうところの
”人は意味もなく生まれ、偶然によって死んでいく”
という言葉が的確に言い表しているのだと思います。
サルトルと同時代人でもあったカミュもまた『異邦人』で
”太陽が眩しかったから”
と説明になっていない理由で殺人を主人公に犯させます。
今作はカミュと言う単語を題に取ったこともあり、ある種の実存主義的な傾向がある作品になりました。
(カミュ自身は実存主義という概念には否定的でしたが)
ですが、カミュもまた徹底的に英雄的、運命的な意味性を否定し、世界の無意味さ無関心さを暴き出し、
その上で更にその先に何かを求めていたのだと思っています。
”全ては語りつくされたのか?よろしい、それでは今から生き始めよう”
とのカミュの言葉があります。実存という無意味さの先へ向かうのか敗北するのか
それはエンディングの蛍に託したテーマでもあります。


 Edwin様

エンディングの考察(英文)

“Rin is impure, and will corrupt Hotaru if they stay together”
This seems to be the most popular theory, that the basis for the arc with Satoshi was that Rin’s feelings of love and lust are blemished, and that this contaminates her relationship with Hotaru and her presence in the perfect world she longs for. It explains the significance of Satoshi’s role in the narrative and gives justification to the ending from Rin’s perspective, but it can’t possibly be the answer.

Look at this scene, look how Satoshi’s feelings are portrayed as pure and beautiful. Sure, they’re not recognised by society, they might be considered inappropriate and immoral, but they represent the raw emotion behind humanity, they symbolise the feelings that give life meaning and the power of love. How can this be impure, how can this be the blemish that means Rin has to leave, if sheer love is such an underlying theme of the work? Where’s the consistency with this theory and the ideas built up so far?

The other promising theory I’ve seen is this; “ ここで切符を手に入れる条件というものが「本当の幸せ」を追求していくことという説” ( http://blog.livedoor.jp/msmstkn/archives/16704498.html より). While Hotaru sees hope in the future and seeks a wonderful life with the two of them together forever, Rin believes that that moment with Satoshi was the one time she felt truly happy, and that nothing can ever replicate that moment. So she’s lost her right to board the train to reality, to pursue a brighter tomorrow, and hence only Hotaru moves on from the corrupted world.

But while her time with Satoshi was clearly precious, there’s no evidence to think it’s more important to her than Hotaru, if anything the work clearly shows the opposite, that Hotaru is her true love and her happiness is with her, not with Satoshi or anyone else. So the theory doesn’t hold under this obvious comparison, not when Rin is so blatantly devoting her everything solely to Hotaru’s happiness, above all else, making it clear where her feelings really lie.

Next you have the idea that there is no meaning, that life is nothing but a series of coincidences and random events, that the irrationality of the ending is a metaphor for the absurdity of life. This links to the works of Albert Camus, the idea that we should embrace this and cease trying to search for meaning in it. “You will never be happy if you continue to search for what happiness consists of. You will never live if you are looking for the meaning of life.”
But that doesn’t justify Rin disappearing. “ In order to exist just once in the world, it is necessary never again to exist.” We only live once, and abandoning that life is nothing but an evasion of the problem, there is no more meaning in death than life. Camus rejected the idea of suicide, and hence it seems logical to assume that this idea of sacrificing oneself for lack of meaning is not the intended theme behind the ending.

So if there isn’t inherent meaning in life, what do we live for? We live for those around us and for ourselves, it’s those interactions with the world before us that gives us purpose. This means that while Rin and Hotaru’s relationship isn’t what the world revolves around and isn’t what everything exists in order to support, to them it’s the most precious and wonderful thing they have, it’s their life and their hope, “I know of only one duty, and that is to love.” So how could this be broken apart, how could the work abandon those themes for a separation ending? There must be something more to it.

Don’t forget the paper plane. It represents Rin’s feelings towards Hotaru, it’s the symbol of their love and their bonds between each other, it’s the crystallization of everything they’ve built up so far in their lives and in the work. So it’s clearly significant that the epilogue ends on it, and while the reader might be inclined to take it as a lasting message as she fades away, I’d like to propose it’s something more.

Her feelings aren’t just some intangible, aesthetic thing. Remember reality is what we make of it, belief shapes the world, as we’ve seen throughout the work. So if the paper plane brings Rin’s feelings back to Hotaru, Rin’s love and Rin’s hope and Rin’s dreams and Rin’s heart, and if that’s what makes up Rin’s existence in this ethereal plane, then they really are, in a very true sense, together forever. So it seems reasonable to conclude the epilogue is followed by them reuniting, by them finding true happiness.


FIN



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燐が聡との関係によって傷ついたことが蛍との未来へも影響を与える
これは物語におけるわかり易い動機ではあるけれども
完全にピントのあった理由ではない
これは非常に核心的な考察でした。
なぜなら単一の理由では作品のテーマでもある
大事に思っているのに何故、傷つけてしまうのかを説明できないからです。
自分から去ることは失うことなのか?
とも言えることについて
そうではないと言う考察をして頂いていました。

愛を得ることと愛を失うこと。
バイロンの”マンフレッド”のようなテーマですが
古くはカサブランカ、最近ではラ・ラ・ランドのように
お互いに思いあっていて正しく行動していれば幸せに結ばれていたのに何故そうしなかった?
と言う過程は実体としての愛を喪失してく非常に美しいものであり。
その喪失の過程で愛の永遠性を獲得していくものだと思います。
その全ての象徴があの紙飛行機であり青い虚空を飛ぶ純白の姿に燐の思いの全てを込めて描きました。
この物語の根底に愛を見て取って頂けたのはとても嬉しく思います。
全てを無意味にするほどに語りつくさないと愛を語れない
レイモンド・カーヴァーの小説みたいですが
またそれこそが実存的無意味さの先、世界には意味がないと言う前提を受け入れたうえで
燐や蛍、聡やオオモト様が真実に近づいたのだと思っています。
それが愛と言うものかもしれません。


 澤木 祐様

まず私は、考察や感想を書くのが苦手な人です。自分の気持ちをうまく伝えることが出来ず結局は何も言わずに終わるタイプです。しかし今回はこの【青い空のカミュ】をプレイしてとても気に入りましたので感想を書こうと思いました。うまくまとめて書くのが苦手な私ですので一番印象に残ったシーンでの感想になります。

最後の”青いドアの家”の世界での電車のシーンで蛍だけが電車に乗り燐は電車に乗れず焦る蛍が必死に窓から手を伸ばして何とか手をつなぐことができたけど、それでもやっぱり二人の手は離れてしまった。一人残ってしまった燐の表情を見たときに(ああ、燐はこの世界に残ることを決めたんだ…)と思いました。そして次に蛍が目を覚ました時に燐が傍に居てくれたことが私は何よりも嬉しかったです。やっぱり蛍のそばに燐が居てほしいとすごく思いました。それから二人は線路を歩きだして燐が幽霊について話をしたときは町の人たちの想いのことを話したと思ったそのあとのことでした、自分は傷だらけになってしまったから、そんな私が一緒にいたら蛍ちゃんまで傷つけてしまう、と。それを見たときに嫌な予感がしました。

せっかく”愛の告白”のようなものまでした二人でこれからもずっと一緒だと思っていたのに…燐は蛍を傷つけたくないからと消えてしまった…。自分の中が悲しみでいっぱいになりました。色んなことがあってこの先もずっと一緒にいてほしい大切な人がいなくなってしまった悲しみはかなり辛かったです。最後くらいは「ずっと一緒だよ」という感じで一緒に歩きだすハッピーエンドになると思った矢先の消失…かなりショックな終わり方に私は涙を流していました。だけど最後の最後に飛んできた紙ヒコーキ。まるで燐がずっとそばにいるよって言ってるようなきがしました。

こうして終わり方はとても悲しいものになりましたけど終わった後にextraからミュージックで”完璧な世界”を改めて聴いていたら、OPにしてこの全てが終わった後の蛍のことを言ってるような感じがしました。サビ前までが紙ヒコーキを拾ったあとに燐との思い出を思い出しているような感じ。そしてサビの部分から燐はもういないけど進もうという蛍の思いのように思いました。”さあ 走り出す 線路上”ここは燐はもういないけどそれでも進もうとする感じ。”完璧な 日の 希望”ここは燐が居た証である紙ヒコーキなのかと思います。”もし この世界 失くしても”ここは燐が一緒に居る世界が無くなることだと思います。”完璧な 日を ずっと 生きよう”そしてここは燐が一緒に居てくれた日々を胸に生きていこうという意味かと私は思いました。
このように色々なところから感動と驚きがありとても素敵な作品だったと思います。正直に言ってしまえば蛍と燐がこれからも一緒だよと手を取り合って歩き出す終わりが見たかったのも事実です。お話の最後くらいハッピーエンドがいいなって思った私でした。

最後に、うまく自分の考えがまとめられずよくわからない長文になってしまったと思いますけど、とにかく私が言いたいのは、素敵な作品をありがとうございました!これからも感動する作品をよろしくお願いします!です。



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お互いに離れないでいようと思い必死に手を伸ばし
それでも手が離れてしまい二人に別離が訪れた時、
何故燐はあのようなほほ笑みを浮かべ
そして、蛍は目に映る全ての光景を美しく思ったのでしょうか?
二人はあの手が触れた瞬間、全てを語りつくしたのだと思っています。
”青い空のカミュの”不条理で完璧な三日間の最後の時がまさにあの瞬間でした。
二人はあの瞬間に不可分の存在になりました。
それにいたる線路上での会話はまさに愛の告白です。
そう解釈して頂いて全く問題ないほどにその通りでした。
そして明確にそのように書いたつもりでした

プレイし終わった後にOPテーマ”完璧な世界”を聴くと
その歌詞の語る言葉が物語と自然に符合していくと思います。
線路、紙飛行機、世界、希望、風車。
そして完璧な日を生きること。

自分自身も何度もいわゆるハッピーエンドに描き直したいと思いましたし
実際に心情的に(悪く言えば商業的に受けやすくする意味でも)二人が離れることの無い
オルタナティヴなエンドも起こしておりました。
ですが、その存在自体がエンディング、更にはメインテーマや紙飛行機の
完璧性を失わせると思い、全てカットした経緯があります。
それでもハッピーエンドにしたかったと言う後悔の思いはあります。
そして後悔と逡巡を抱えたまま駅にたたずむ燐の絵を描きました。
だからこそ、あの絵が描くことが出来たのだと思っています。
その時の気持ちをそれを思い起こさせて頂ける素晴らしい考察と感想でした。ありがとうございました。


 よんまー様

前半は考察を書いて、後半に感想を書こうと思います。ムツカシイ目が痛くなるのが要らない方は後半の感想だけ見ていただけたらと思います

まず蛍と燐が迷い込んでしまった世界と、その世界の終わりはなんだったのかなというのが終わった後に考えた。
この世界は座敷童を利用し、幸運を留め続けてできた歪みが決壊してできた世界だとオオモト様からの説明であった

その世界は偶然によって作られた。聡が仕事にここへ来たという偶然、儀式の人へと選ばれてしまった偶然
蛍と燐が巻き込まれてしまったのも偶然、物語ではそうは言っていたがいわゆるこれは「必然に近い偶然」だったのだろうなあという気がする。あれですね、オオモト様が手毬を投げて「でももしかしたら途中でカラスに持って行かれるかもしれない。それは誰もにもわからないこと」って説明をしていたやつですね

自身の欲望を渇望するだけの世界で町民は形のある"幸運"である座敷童の蛍を求め、探して追い続けて。だが局所のピンチも運と都合の良い状況によって切り抜けていく。やっぱ物語進んでいくにして「ココは都合よく出来すぎた展開だなあ。」なんて思うこともよくあった、もちろんだからといって冷めていったわけでもない

そこで自分が最後のエピローグまで見て出た結論としては、「この世界は座敷童自身である蛍を中心として繰り広げられた世界」だったんだろうなと。

その時にだけ役割を持ったかのように通電した自動販売機や、その先の山道で見つけた軽自動車、さらに巨人の遭遇。なかなかに都合の良い方向に転がるのも座敷童の世界であり、座敷童の蛍の無意識の力の所以なんだろうなと後から納得が付いてきた。しかしこれだけではなぜ蛍の世界だったかという説明には不足する

して、そう思った根拠としてはやっぱり「危機的状況の時に青いドアの家の世界にアクセスしていた」からだろうと僕は思った。最初は無意識で、しかし何度もアクセスを繰り返し、燐と共に考え、オオモト様の話を聞き 最後ではスイッチを切り替えるのを思考のトリガーとして世界を動かす力を認知した。

(おそらく)その世界を動かす力を自覚したシーンであるサトくんを助けるために戻った瞬間、そしてレバーを動かしたあの瞬間。「この線路を元に戻すと何かを起こせる」そう思い続け蛍は必死で行動して、「本来なら線路が変わるだけの行動で、下には雨水が溜まっているだけ」。その事実を変えてレバーを動かし、世界を終焉させた。

といった形で蛍がこの世界を終わらせた というのが自分なりの考察になった。その世界が砕けた先にあったのが青いドアの家のある世界だったのも、もう一つ考えなきゃなとこかもしれないが、これについではゴニョゴニョ・・・(分からなかった、考察だれかしてるかな)


その先の世界(青いドアの家のある世界)も、もしかしたら蛍ちゃんの世界なのかなという考えもあった。

電車が来て、そこから離別してしまったのは偶然だったのかもしれない。燐ちゃんの瞳が青いドアの家に縛り付けられていたのも、理由があったのだろう・・・。自分の大切な存在である燐と別れるかもしれない、そう青ざめる描写もあった。手放すものかと、どうあっても一緒に居るんだと


だが、一度握った手は"離れてしまったのか、離してしまったのか。"


その後に世界の青と白が弾けた。その青と白の中に居る燐を見て「なんて綺麗な・・・完璧な、世界。」と、漏らす。
ずっと一緒に居たかった、だがその完璧な世界を欲してしまった。結局は完璧な世界を欲してしまった

そして最後に情報という残滓・・・というか幽霊か、そういった心のありかとしての存在として燐が居るようになったのが、エピローグの蛍の世界なのかな・・・

以上がふと考えたくてやった考察になります。


そしてゲームしての感想も少し書いていこうかと

まずは非常に雰囲気が好みの作品でした。KAIの作品は過去作をやったことなかったのですが、この作品だけ毛色が違ったように思い体験版をプレイしました。体験版プレイ以降は発売が楽しみになってしまいましたね(しかし、プレイしたのは遅れて7月になってしまいましたが!!)

このゲームをプレイし終わって自分の中で出てきた率直な感想は「少女と少女が、幸福と幸せを噛み締める話」だなぁと思いました。


蛍と燐は歪みきった世界で寄り添い、沢山のシーンでお互いを語らいだ。それらのシーンが僕は好きでたまらなかったです。中でも中学校のプールで浮かんで語らうシーン、軽自動車の中でラジオの音楽を聴きながら雨の中走らせるシーン、森の線路を手を繋いで歩くシーン。この3つが特に好きでした


綺麗な月夜の下で、友であると確かめ合う・・・蛍と燐が大切であるとお互い噛み締めた瞬間であっただろう。運転しながらなんて少女と少女には少し違和感のある構図だったかもしれない、その中でその瞬間を共有し合っただろう。雨の降りしきる森のトンネルで手を繋いで、二人は支え合い信用しているのを実感した瞬間であっただろう。
少女ふたりだけの世界がこのゲームにはたくさんあった。それが愛おしくて尊くてたまらない・・・それがこのゲームの一番の好きと言える所です。

ラストの展開も僕は大好きです。最後に蛍は、燐を手放すものかと必死に足掻く。だが彼女は弾けた青と白の完璧な世界を見てしまい燐を手放してしまう、悲しみと恐怖を置き去りにするほどその世界に魅入られて・・・

そして最後は悲しみと寂しさが押し寄せ蛍は涙する。過ぎ去った幸せというのを噛み締めて涙する・・・胸の潰れそうな想いに僕も泣きそうになりました。

この先最愛の友を失った蛍はどう過ごしてゆくのか、その先の描写は書かれず完結する。
その答えは僕の想像の先だけであってほしい。そう僕は願った・・・


感想は以上になります。色んな解釈が生まれそうな作品で、ほかの人の感想が見るのが楽しみになりますね。良い作品をありがとうございました
※これは僕がエロゲー批評空間で書いた感想になります。



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蛍の作り出した世界(夜の世界も青いドアの家の世界も)を蛍が終わらせた。
実はこれは最も予想外の解釈でした。ですので非常に興味深く読ませていただきました。
蛍は世界にとってある種の超越者(もしくは究極の傍観者)として捉えるならば、
『青い空のカミュ』においてこの解釈が成立するところもあると思います。

オオモト様、つまり座敷童は作品世界での様々な要素を励起させる因子と言う解釈で問題はありません。
『青い空のカミュ』では座敷童と言う存在を”様々な力を引き寄せる存在”として解釈しました。
このことが一連の不可解な現象を引き起こす世界の”システム”として機能します。
その”システム⁼世界”が蛍に内包されているならば……
と考えると夜の世界と青いドアの世界とを行き来する間に
無自覚に蛍が世界を収束させていったというのも面白いですね。
駅のホームでのシーンで完璧な世界を見た蛍の言葉にも別の解釈が生まれそうでもあります。
これは余談ですが
その蛍は座敷童であったわけですが、『青い空のカミュ』では座敷童と言う存在から一般的に想起されるような
儀式的、神秘的ななぞらえによる伝奇モノにならないように慎重に物語を進めました。
それだとただのオカルトであり真に表現したいストーリーにはたどり着くことが無いと判断したためです。
ですからあえて超常現象を唐突に起こさせると言う手法を取っています。
物語で起こることは全ては不条理な偶然、しかし、その事象が示す象徴性は必然をもって二人の前に現れる。
つまり物語の不条理な偶然性と象徴としての必然性を描き切ることが作品上非常に重要な点でした。

自分の意図した方向とは違う角度からの考察と言う事でもあり、採用させて頂きました。
真剣に考えて頂けたことが伝わる内容で本当にありがとうございます。

またゲーム内容に関するご感想に関しましても
上げて頂きました三つのシーンは今作でも二人の関係を最も美しく優しく見せるシーンで、
CGも文章も丁寧に仕上げることを心掛けたところであり、苦労が報われた気持ちです

静かに美しい音楽の調べと共に二人の会話(これを書くのが非常に楽しい作業でした)
車のシーンは真面目な女の子が無免許で運転すると言う少し悪い事をしてる感じを
燐と蛍に共有させたくて作ったシーンでもあります。

これらのシーンでは燐と蛍の二人を見て画面越しにも”幸せ”を感じて頂けたのではと思います。
その後のラストは透明な哀しさに全てが集約していく展開になります。
つまり、幸せは気づいた時には既に過ぎ去っているという事は我々にも当てはまることでは無いでしょうか。

だからこそ、燐と蛍を愛おしく思って頂けることを本当に嬉しく思います。


 Riasu様

初めてエンディングを迎えた時は胸がいっぱいになり少し早い五月病の気分を一月ほど味わうことになったのを今でも覚えている。もう9回近く繰り返しプレイをしエンドまでやっているが未だに結論は出ていない。
ネット上では様々な意見が出ているのだろうが、自分は好きなことに関してはネット断ちに近いことをしているので評価等は一切知らないが良いゲームに出会うことが出来たことが素直に嬉しい。
青カミュ(と言う略し方で会ってるのどうか不明だが)をクリアしたときから頭のなかで様々な考察を自分なりしてみたがその度に変わってしまって結局のところオフィシャルのサントラのジャケットの未完成絵が自分の中の答えと言うか希望となった感じだった。何週としてると割と気遣いをしてることが分かってきた、特に燐に関しては誤解を受けないように相当気遣ってたんだなあと感じるようになってきて余計に愛おしいキャラに感じ取れた。
蛍はかなりの良キャラで何週しても飽きることもなくやってるのは、蛍の燐に対する想いがあるからこそである、もっとも百合要素して見てるのも事実なのだが、ほかにも色々と書き足りないのだがただダラダラとしたものになるだけなので最後に一つだけ

燐「あぁー誤字脱字が(結構)あるよー 修正(パッチ)ほしいなー」


 的場有亮様

正直に述べさせてもらうならばかなり評価に苦しむ作品でした。
というのもプレイ時間はフルプライスでありながら体験版範囲を除いてしまえば4時間程度しかなく、それを補う程度には透明感に溢れる秀麗な一枚絵の数々であったり腐っても“KAI”と言わんばかりの触手凌辱が本作品を美しく彩っており買っても後悔しない作品ではあったと思いました。
むしろこの場面で用いた哲学的発言は本作品において何を狙ったものであろうかと終わった後に色々と想像を膨らませることが楽しめるような作品だったように感じます。でも深い考察は哲学者に任せましょう。
本編中で述べられるカミュとサルトルの論争についてにでも熱く語っているのを僕は横から眺めておきます。

2019-03-31 (8)
考察に入る前に公式サイトやTwitter上での原画&シナリオ担当である〆鯖コハダさんの一連のカウントダウンイラストに添えられた英語とその日本語訳文章から見ていきましょう。オオトモ様は『最後の審判を待ってはいけない、それは毎日やってくるのだから』サト君とヒヒは『男は自分は何者であるかを拒む唯一の人物である』蛍は『自分の中に酷い空虚さ、無関心という痛みがある』そして燐は『真実を見つけるのはいつも過ぎ去った後』である。
2019-03-31 (6)
プレイ終了後にこれらの発言を見返した時にあの場面のことか、と思い当たるふしが色々あったりして今までに違った視点で物事が見れて中々面白く思えました。例えば最後の燐ちゃんの発言を取ってみることとしますね。
2019-03-31 (7)
まずこの発言と対応する本編中のテキストとして「誰もが幸せになりたい、でもすでに幸せだった時は過ぎ去っている……じゃあ、僕たちは……」というものがある。では彼女にとっての幸せとは何か?

これも本編中に記載はされており彼女が本当のしあわせを感じていた瞬間とは燐と聡がふわふわと浮かぶワタスゲを二人で観覧していた場面であった。これは何も欠けていない完ぺきな瞬間であると表現されお互いに言葉にしなくても相手の感じることが出来た思いの通じあったこの瞬間を真実と表現したのかな…と思いました。しかしこの奇跡的瞬間は再びは訪れない。
2019-03-31 (13)
その後世界に異変が起こる前にはすでに二人の間には男女同士の気まずさのようなギクシャクとした関係性が生まれてしまっていた。妹としてでは無く女として兄に見て欲しかった燐と綺麗なものだから大切にしたいと雄としての欲望を孕みながらも良心から彼女に手を出さない聡。もはや両者の間で半ば修復しがたい亀裂を生んでしまっていた。当時はワタスゲを見ていた時間が二人の感情を一番理解していた瞬間と気づかず気持ちがすれ違い、相手をお互いに本当は愛し合っていたという真実に気づくのは、世界に異変が起こって聡君が殺害された後である。ワタスゲの花言葉が『揺らぐ想い』というのも中々洒落ています。これが『真実を見つけるのはいつも過ぎ去った後』の解釈となります。

2019-03-31 (9)
銀河鉄道の夜の話題も出てきますし展開も類似しているので本作において『本当の幸せ』というのはやはり避けては通れん無い議題である。参考人物はそれぞれ蛍ちゃんがジョパンニ、燐ちゃんがカムパネルラなのでしょうか。そして時折出てくるDJゴドーが博士とか?例えば蛍ちゃんはそもそも生きのびて元の現実に舞い戻ることよりも『二人一緒でいること』をなによりも一番に考えたり、逆に自分には何もないと卑下する傾向も少しあったりするところにジョパンニらしさを感じさせなくもないですよね。
また本作の「切符」も銀河鉄道の夜で語られる「どこまででもいける切符」を彷彿とさせます。事実線路から先に見えるものは彼女たちによって異なっており電車の切符とその資格さえあれば確かにどこにだって行けるのでしょう。蛍ちゃんの場合は残念ながら何も先が見えず、燐ちゃんの場合には後々重要な場所となってくるたくさんの風車を線路の地平線上に覗き見ることができます。しかしそれは切符があればのお話。なんと物語最終局で「空虚」な蛍が切符を手にして「自己犠牲」の燐が切符を手に出来ず蛍のみが現実へと帰ることが出来たのです。評判が別れそうな別離系のお話でした。
2019-03-31 (11)

燐は鉄パイプを持ちながら幾度も傷を負いながら蛍を守りぬいたのに関わらずそんな博愛精神をも持つ彼女が「切符」をなぜ手に出来なかったのか。いや、正確には彼女は一度手にしていたのにどうして手放す必要があったのか。その謎もやはり銀河鉄道との対比で解釈してみます。

銀河鉄道の夜でも似た場面は存在していました。それは気が付いたら銀河鉄道にいただけのジョパンニが上着のポケットから世にも珍しい「緑の切符」を取り出すところですね。しばしばこの特殊な切符がなぜジョパンニに送られたかは議論争点の的になるらしいが、一概には「ほんとうの幸」を追求する孤独なジョパンニに対しせめてこの特殊な「切符」を拠り所として強く生きて行けという渡した人物である博士からのメッセージという説が妥当であるみたいです。(作品自体は読んだことはありますけどこの場面は少しあやふやでしたのでもしかしたら間違えがあるかも。)

2019-03-31 (10)
カミュでもやはり「切符」と「本当の幸せ」には切ってもきれない関係がある。ここで切符を手に入れる条件というものが「本当の幸せ」を追求していくことという説を仮定した場合最後の出来事がある程度は上手く嵌ることとなる。まず燐からいけば先ほども述べた「兄と共にワタスゲを観覧する」場面での密かに思いを通じ合わせることが出来た事実が彼女にとっての幸せであり、彼が死んだ時点で互いに思いを通じ合わせることは叶わずに永久に「本当の幸せ」を追求する資格は失われます。こうして彼女は一度は手にした切符を手放さざるを得なかったのかなと。
2019-03-31 (16)
逆に蛍は「どこまでも二人で一緒に」が「本当の幸せ」と考えている節があり切符を手にすること自体は可能でした。しかし電車に乗車した時点では蛍は燐が切符を既に失っていることはつゆも知りません。行先は「彼女たちが思えばそれが真実になる」。「どこまでも二人で一緒に」という願いを持ったが故に切符を手にすることは出来たが、皮肉にも燐ちゃんの行動によって事実結果は異なり最後は現実世界に一人取り残されてしまう。そうした物事の不条理さ・悲哀さを最後に醸し出してくる作品でしたね。 (http://blog.livedoor.jp/msmstkn/archives/16704498.html)

KAIは触手凌辱ものの教祖ともいえるメーカーとして長年楽しませてもらっていたので発売前はこのような舵の取り方にやや驚きがありました。しかし発売してしまえば独自性のある哲学論が繰り広げられ忘れられない作品になりました。ありがとうございます。


 dennn様

 あまり文字を書くのが得意ではないので、すごく月並みな表現しかできないのですが、凄かったです。グラフィックに、音楽に、作品の世界観に。ゲームのプレイ中は終始引き込まれっぱなしでした。

 私個人、子供の頃に宮沢賢治のお話を読む機会が多くて、その中でも強く記憶に残っている「銀河鉄道の夜」。「青い空のカミュ」をプレイしていて思ったのが、脳裏を過ったのが、銀河鉄道に乗って旅をするジョバンニとカムパネルラの姿でした。燐と蛍の二人が作中で「銀河鉄道」を引用したあたりから二人の姿がジョバンニとカムパネルラに重なって、物語の行く末がなんとなく想像できてしまって、物語の結末へたどり着く前から切なさでいっぱいになってしまうという(笑

 哲学的なコトを議論するのは苦手なので、「青い空のカミュ」の結末をロジカルに解釈することはできていません。銀河鉄道の旅が「ほんとうのさいわい」を探す旅なのだとしたら、燐と蛍の旅はどんな意味を持つのだろう。曇天続きの梅雨空の隙間にひょっこり青空を見つけた時なんか、今でもそんなことを考えます。

 子供の頃に「銀河鉄道」を何度も何度も繰り返し読んだように、何度だってプレイしたくなる。そう思わせてくれる素晴らしい作品でした。


 Promena様

少女は、美少女は、だから傷つくことのない完璧な世界に閉じ込めておきたい。
けれど、現実はその想いとは無関心な理不尽な世界の中で傷ついてしまう。
わたしが守るよって言った蛍、燐はそれに答えなかった。
電車に乗りそこなって完璧な世界に取り残された燐。
雨に流された街で一人になった蛍。
幸せを求めることで誰かを傷つけてしまう。そんな世界に。
「あの夏の3日間、僕たちは完璧になれた」
「ただ完璧な日の捻じれた不条理。・・・Qui a tué fille そのことだけが知りたくて」
その答え合わせは正しいのだろうか。

青空CGに惹かれて何となく買ってしまって、迎えたエンディングはひどく喪失感が漂う。
緑のトンネルの情景と荒野のオオカミが頭の中でリフレインする。
もう少しだけ、回収のためのアフターストーリーがあるのかと思い、 同じエンディングを5回繰り返さないとTrueにいけないのかとやってみたが やはり、燐の紙ヒコーキを蛍が拾うところから進まない。
いずれにせよ、このご時世によくこのような作品をだしてくれたこと感謝。
自分は素晴らしい作品だったと思う。絵もとても良かった。


 そのう様

今回KAIの作品が大きく方向転換されるとわかって、はじめは期待半分、不安半分というような心持でした。
KAIは一番好きな美少女ゲームブランドですし、今までのような作品が見られなくなる事を残念に思いました。
やがてメッセージやビジュアルが公開されていくうちに期待の方が徐々に大きくなり、即予約し発売日を心待ちにしていました。
『青い空のカミュ』をプレイして、結果本作は個人的にドストライクとなり、店舗特典を求めて美少女ゲームで始めて複数本購入しました。既に『青い空のカミュ』だけで例年に美少女ゲームに使用する予算の8割くらい使用しましたが、本作で美少女ゲーム熱自体が再燃し、美少女ゲームに使用する予算全体が大幅に増えそうです。

哲学的な知識はありませんので、本編については理解できていないことも多くあり、今も定期的にプレイしています。まだ新しい発見や感想の変化があり、結局「感想キャンペーン」期間中最終日になってもまとめきれませんでしたが、下に本編の感想、考察を書いていきます。


燐にとっての世界とは灰色で重苦しいものでした。
燐に取っての世界はかつては色鮮やかで明るい世界だったのでしょうが。
「失うってことは色と光が消えて、世界になじんでいくこと」
と彼女自身が言うように、両親の離婚や友人関係によって多くの大切なものを失い、傷つけられてきたことで彼女の世界は色を失ってしまいます。
そんな灰色の世界の中で蛍は唯一、色を持つ存在として表現されています。
燐に出会うまでの蛍は大切な物を持ておらず、世界に対して無関心でしたが、燐と出会ったことで燐という大切なものを手にします。燐は大切なものを手にした蛍が自分と同じ方向を向いている存在だという思いを抱いていました。また大切なものを失ったことの無い蛍はかつての燐が持っていた明るく美しい世界を持ち続けているのでしょう。燐にとって蛍は灰色に染まっていく世界の中に存在する希望なのだと思います。

なぜ燐の世界は傷つけられ色を失ってしまうのでしょうか?
これは本作のテーマである”何故大切なものを綺麗なままにしておけないのか”ということでもあります。
燐を傷つけるものは不条理な世界の変化なのでしょう。

【???】
「同じように手の中に戻ってきたとしても、まったく同一の軌跡を描くことはできないの」
【???】
「だから、人が繰り返しを望んでもそれは叶えられないのよ。流れの先にある結果はそれぞれ違うものだから」

同じような日常、いつものような風景を望んだとしても。自分がこうだと思っていたものは姿を、意味を変化させる。自分の大切なものも変わってしまう。

人よって程度の差異はあれ、走り去る現実に追いつけるほど自分たちの足は速くない。

なぜ世界は変わってしまうのか、そこに理由などなく納得できない思いは傷となって残っていくのでしょう。

なんで、人の思いはこんなにもすれ違ってしまうのだろう。
どこか微妙に欠けたパズルのように。
ずれてしまった思いは、ときに相手に無数のひっかき傷をつけ……自分もまた傷ついて。

ワタスゲの原で幸福な時間を過ごした燐と聡も、聡のもう一つの思いの一端に気付いてしまったことで、二人の関係は変化し、思いはすれ違っていきます。燐と聡が互いに付けた傷は表面的には取り繕われ、小さな傷の様に見えますが、幸福な時間を過ごした二人にとって"気持ちがぴったりと重ならなくなった"ことはお互いをどうしようもなく傷つけてしまうのでしょう。

望まなくても世界は変わっていきます。不条理な世界の変化の中で人はどのように生きていけばいいのでしょうか

【燐】
「そう、すぐに慣れるんだ……怖いことも、傷つくことも。だって、そうした方が楽なんだもん」
【燐】
「だから、人って生きていけるんだと思うんだ。慣れて、忘れて……本当は辛くて悲しいことも何処かで折り合いをつけていけるの」

世界の変化に合わせて、過去を忘れることで生きていける。これは悲しみを手放すこと、かつて大切にしていたものを手放すことともいえます。

【燐】
「カラッポになった殻にはもう何も無いのかな。もう、悲しみもなにも背負う必要もないけど、それは自分自身もなくして抜け殻だけを残していくのと同じ」
そう言って自分たちの背後にある家を眺める。
そして自分の家族が住んでいたマンションの部屋を思い返す。
誰も背負わない抜け殻の家。

悲しみを手放すこと、大切なものを手放すことは、世界に合わせて自分自身も変わっていくことともいえるのでしょう。
大切なものを手放すことのできない燐は傷を受け悲しみ背負う生き方えらびます。

悲しみを背負って大切なものを持ち続ける燐が線路の先に見た風車の世界、それは彼女を象徴する世界なのだと思います。
無数に立ち並ぶ風車は美しく少し物悲しくもあります。
それは燐の持つ大切なものの象徴でようであり、また白い風車はどこか十字架のようで、失ってしまったものの象徴の様でもあります。それは彼女の認識する現実から失われたものかもしれませんが、永遠に回り続ける風車は彼女の心の中で生き続けているのでしょう。
たくさんの大切なものを持った燐の世界が、青空と風車の世界だとすれば、
蛍の世界は青空だけの世界なのではないでしょうか。それは恐らく青いドアの家の前にある駅なのだろうと思います。
青い空と、空を映す水面だけの何もない世界、そしてどこかに続くレールと駅。それが蛍を表す世界なのだと思います。

ここで少し、青い空のカミュにおける美少女とは何かについて考えたいと思います。
燐と蛍と別れる前に、二人を助けたオオモト様の言葉

【オオモト様】
「綺麗なものを大切にしたい……それはわかるでしょう?」

【オオモト様】
「燐も蛍もとっても綺麗、傷一つなくて傷だらけで。だから、あなた達を守りたいの」

ここでオオモト様が言う燐と蛍の持つ"綺麗"さとは彼女たちの持つ純粋さのようなものだと思います。
蛍は何も持たず何も失わなかったことで、変わらないありのままの蛍でいます。
燐は悲しみを背負い大切なものを持ち続けることで、彼女もまた自分を構成する大切なものを持ち続けています。
このありのままでいること、純粋さがもつ"綺麗"さが、青い空のカミュにおける美少女なのだろうと思います。

世界は不条理に変化し、そんな"綺麗"な彼女たちを翻弄し傷つけていきます。

【燐】
「何を信じたらいいのか……自分が信じていたものを自分が否定しちゃうなんてね」
燐は足を止めてしまう。
急に、鉛の足かせがついたかのように重くなってしまった。
----これ以上、自分は歩き続けられるのかな?
----どうやって、足を動かせばいいんだっけ?
歩く理由すらも見失ってしまったような感覚。
ずぶずぶと思考が黒い泥沼にはまり込みそうになった時だった。
【蛍】
「だったら、わたしを信じてくれればいいよ」

幸福が個人的なものであるのと同様に、人が信られるものもまた個人的なものなのかもしれません。神様とか理念とか、そんな大きなものではなく、誰の思いも犠牲にしない、個人的で確かなものが本当に信じられるものなのだと思います。

聡を失い、傷ついた燐は、蛍にも手が届かなくなってしまうのではないか、傷だらけの自分は蛍と一緒にいられないのではないかと考えるようになります。そして燐は蛍に今まで伝えられなかった思いを伝え、言霊を託します。

【燐】
「蛍ちゃん、大丈夫だよ。蛍ちゃんが綺麗なままでいられれば……きっと、わたし達ずっと一緒にいられる」

それはただの言葉でしかありませんが、同じ方向を向き、互いのぬくもりをその手に刻んだ二人にとって、不条理な世界が突きつける現実よりも確かな真実になるのだと、燐は信じているのだと思います。

物語の終盤、駅に列車が到着します。この列車は蛍に何らかの変化が訪れることを暗示しているのかもしれません。座敷童から人間への変化、あるいは大切なものを手にした蛍が、何もない世界から旅立つ事を表しているのかもしれません。
蛍は自分の変化について不安を抱いていましたが、燐の存在が彼女の不安を取り除いていました。

"わたし"であるだけで燐は受け止めてくれる。
燐がいるだけで大丈夫。

列車の行き先はわからなくても、蛍は怖気ることなく、進んでいきます。

【蛍】 「乗って……みようか? たとえ、元の世界に戻れなくても、燐と一緒ならかまわない」

しかし、列車が走り出し世界が変わった先に燐はいませんでした。
燐のいなくなった世界で、蛍の前に燐の幽霊が現れます。これは燐の言霊が作り出した存在なのでしょう。燐の幽霊が蛍に語る言葉はとてもやさしいものです。そして蛍自身が言うように

【蛍】
「さっきも言ったけど。わたし、本当に燐が好きなの。燐のためなら何でもできる。この体がなくなっても構わない。それこそ、わたしが意識や記憶みたいな情報だけになっても」

それは蛍と燐の向いている方向は今も変わらないんだということを示しています。燐と聡の心はワタスゲの原の後から"ぴったりと重ならなく"なってしまいましたが、
燐を信じ、意味を表有する蛍は燐の変化を受け入れることができるのでしょう。燐が幽霊に変化した事に傷つくかもしれませんが、その変化は蛍の世界にすっぽりとおさまることができるのだと思います。世界が燐を失ったとしても、蛍が綺麗なままでいられれば、蛍の認識する世界の中に存在し続けるのでしょう。



感想、考察は以上です
次回作が今作のような方向性でも、以前のような方向性でもKAIの次回作を楽しみにしています。





沢山のメッセージを寄せていただき、本当にありがとうございました。
予想をはるかに超える数と内容に、どのメッセージからも『青い空のカミュ』という作品を
楽しんでいただいたことが伝わりました。

青という色は無数にありますが
それぞれ別の青ながらも無数のグラデーションを作り
空を一つの青空へ組み立てていきます。

それと同じように皆さまがプレイし考え感じていただいたことは
それぞれに違うと思いますが、その全てが確実に
『青い空のカミュ』を理解し構成していただいていると考えております。

もちろん、ここに乗せられなかったメッセージにも読み応えのある内容がいっぱいでした。
けしてわかりやすいとは言えない内容ながら 真剣に向き合ってくださったユーザーの皆様には感謝の念に堪えません。
本当にありがとうございました。

〆鯖コハダ